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パートナーコラム 紺野真理の「海軍におけるマネジメント」
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第4回:サイレント ネービー

※このコラムは、弊社代表紺野が海上自衛隊時代、艦隊勤務を本望として20年間生きてきた経験の中で見聞きしたことを書いたものです。文中に出てくる六本木の防衛庁とは、現在市ヶ谷にある防衛省を意味しています。予めご了承下さい。

サイレント ネービー

海軍についての話がでるとよく耳にするのが「サイレント ネービー」という言葉です。沈黙の艦隊ではありません。旧陸軍を経験の方もあることを念頭に置き、以下私見であることをあらかじめお断りしておきます。一義的には、あまり表舞台には出ずに黙々と自らの任務に邁進する海軍の姿勢を言ったものと思います。もう少し意味を広げてみると「海軍は政治には関与しない、与えられた自らの任務に邁進する。」と言っていたようでもあります。

一部の軍人が政治に介入して、歴史の示すような結果になったとは、巷間よく言われることであり、特に旧陸軍について言われることが多いようでもあります。それでは、海軍軍人は政治の表舞台にでなかったのでしょうか。

そんなことはありません。五一五事件直後の昭和7年5月から昭和9年7月までの内閣総理大臣、斎藤実、その後の昭和11年3月、すなわち二二六事件直後までの内閣総理大臣、岡田啓介はいずれも海軍大将であります。斎藤内閣は五一五事件で暗殺された犬飼毅首相の後を受け挙国一致内閣を組織し、満州事変後の諸問題の処理に当たっています。また、岡田内閣では、高橋是清蔵相が膨大な予算を要求する陸軍と対決してこれを押えたことでも有名ですが、高橋蔵相は二二六事件で暗殺されることとなります。

日独伊三国同盟締結を、体を張って阻止したといわれる米内光政海軍大臣、山本五十六次官、井上成美軍務局長の3人も有名ですが、二二六事件で重傷を負いながらも一命をとりとめた当時の侍従長、鈴木貫太郎が、昭和20年4月に東条英機陸軍大将、小磯国昭陸軍大将の後を受けて内閣を組織し、日本を終戦に導いたこともつとに有名な話しです。鈴木貫太郎も連合艦隊司令長官、海軍軍令部長を歴任した海軍大将なのです。

話が歴史を遡り長くなりましたが、その他太平洋戦争開戦時の駐米大使、野村吉三郎海軍大将など、海軍軍人も政治、外交の表舞台に数多く顔を出しております。しかし、問題は、その顔の出し方なのです。そこにサイレントネービーのサイレントネービーたる所以があると思うのです。

それは、現在の海上自衛隊と陸上自衛隊の中に見ることのできるものでもあります。永野法務大臣の一件もあり、誤解を招くことがないようお断りしておきますが、現在の陸上自衛官が政治に介入しようと画策しているといるわけでは決してありません。

実は、一線の部隊から六本木の防衛庁勤務になる際に、海と陸の自衛官とでは気持ちの上で大きな違いがあるのです。海では、六本木勤務(部内では桧町勤務といいます)の内示をもらうと、それは当然出世のステップであり本人にとって悪い話しではないのですが、多忙な勤務態様と自分の本業ではない陸(オカ)の仕事という気持ちがあります。周囲も「お気の毒に」とは言わないまでも、「せいぜい体をこわさないようにがんばって」という反応をします。

一方、陸では、桧町勤務者を一線の部隊から出すことは部隊の誉れであり、部隊指揮官をはじめ全員で大宴会を催し、万歳三唱して送り出すということです。もちろん本人も、胸を張って六本木交差点を渡り登庁してくるのであります。そして任期も海の原則2年に比して、陸では3年、配置が変われど連続して勤務することもしばしばであり、桧町勤務に対する意気込みが違うのです。

時が経つにつれ、また差がついてまいります。海では、実力の発揮できる2年目に入ると、もう気持ちは次の配置である艦や飛行機の指揮官としての立場に向いて、官僚仕事にはどこか腰が引けることとなります。

ところが、陸さん、3年と覚悟を決めてきており、まして、陸の超エリート君たちは、6 7年とのつもりで来ていますので1 2年では動じない。同じテーマについての発言でも重みが違います。結果として、陸と争っても、数の上においても、勤務する者の意欲の面でも負ける(?)ことが多くなります。

私は、戦前の海軍でも同様のことがあったのではないかと思っています。海軍では、育成過程で艦や飛行機に思考の重点が置かれ、自分たちは、船乗り、飛行機乗りだという意識が極めて強くなっています。その点陸軍では、若い頃から地域に根ざした駐屯地勤務ですから、外部との接触も多く、自然と政治的な世界にも目が向きがちになるのではないでしょうか。

米内光政海軍大臣が中央から退けられ、山本五十六が連合艦隊司令長官として海軍次官のポストを去るときも、さばさばとして、というより、喜び勇んで転出したとも言われています。中央に残って日本の政治の中で自分たちが何をなすべきか、よりも、サイレントネービーであることに意義を見出し、それに徹したのだと思います。

ちなみに、現職の国会議員を見てみますと、陸上自衛隊出身者が2人、航空自衛隊出身者が1人に対し、海上自衛隊出身者はおりません。

サイレントネービーの面目躍如、その精神は脈々と受け継がれているようでもあります。

▽次号では・・・▽

皆さん、いかがでしたか?

人生において、出世するということは喜ばしいことではありますが、その一方で、今の座を離れることに寂しさを感じることもあります。人間は欲張りな生き物なのかもしれませんね。

私も一日一日を大切に、サイレントネービーを意識しながら仕事をしていきたいと思います。

次号は「船方気質(かたぎ)」をお送りします。皆さん、是非お楽しみに・・・!

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