※以前書かせていただいた「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」を復刻版としてメルマガに載せてみたところ、意外にもご好評をいただいたため、退職後19年を経過した現在の私が当時を思い起こして感じていることを書かせていただきました。これまでのものと同様に、私のわずかな経験の中で見聞きしたことを、特に明確な意図というものはなく、何となしに書いてみたいと思います。「艦隊勤務雑感」という副題も、あえてそのままとさせていただきます。むろん、艦隊勤務を本望として20年間生きてきた私のことであり、主に艦「ふね」(以後「艦」と「船」がごちゃごちゃに出てまいりますのであしからず)や海上自衛隊にまつわることでお話を進めたいと思っております。
「遠泳」と聞くと、皆さん誰もが「海上自衛隊だから泳ぐんだ」ということはお分かりいただけると思いますが、泳ぐと言っても、そんな簡単なことではありません。海を舞台として生きることを決意し海上自衛隊に入隊したものに対しては、さまざまなものの中で共通して求められることが、「泳ぐ能力」なのでした。私は、中学校、高校とも東京都内の公立校でしたが、中学のときは伊豆の下田、高校のときは千葉の館山で臨海学校があり、その際「遠泳」なるものは経験していました。余談ですが、私の高校、東京都立白鴎高校では、男子は赤い褌(いわゆるアカフン)が義務だったのですが。
「遠泳」とはいうものの、中高校生ですからせいぜい、1時間から1時間半程度だったと記憶しています。(当時の先生って、リスクをとってそこまでやってくれたんですよね)しかし、防衛大学校に入ると1年生の夏に東京湾(当時はとても汚れていたんですよ)の防大の下の伊勢町海岸から横須賀沖にある猿島の近くを回って帰ってくるコースで、確か4~5時間だったと思います。1年生のときですから、これは陸・海・空の区別なく全員が泳がされました。また、2年生、3年生のときは、夏の定期訓練において、海上要員だけは広島の江田島でやはり4~5時間泳がされました。まあ、それでも、中学、高校を通して多少なりとも遠泳の真似事をしてきた私にはさほどきついとも思わなかったのですが、泳ぎが苦手な者にとっては、特に1年生のときの遠泳については、陸上自衛隊や航空自衛隊に行くつもりで入校した者で泳げない者にとっては大変な苦労であったと想像します。ただし、1人も落伍者を出さないところが防大、自衛隊のえらいところです。
ところがです、防大を卒業して江田島の幹部候補生学校に入校すると、またまた遠泳があるのです。それも、この度は8マイルも(1マイルを1852mとして計算すると、およそ15km近く)泳がせてくれるというではないですか。一般大学からの入校者の中には、まったくの金槌もいて、6月中旬に水泳訓練を始めた際には、50mプールで向こうまでいけない者が数名おりました。「泳げないのに何で海上自衛隊に入ってくるんだ‥‥?」といぶかる声があるのもわかりますが、彼らの多くは飛行機のパイロットになりたい、飛行機の整備の仕事がしたいなどの理由ですから、わからないでもありません。
しかし、海上自衛隊の訓練というのはたいしたものと感じましたが、8月初旬には、彼らも一人残らずこの8マイルを完泳したということです。特に私の同期には、海上自衛隊最初の7名の女性候補生がおりましたが、彼女らも完泳しております。8マイルといってそう簡単ではありません。江田内(江田島と能美島の間にある湾)に外から入ってくるのですが、その水道を通る際は、しっかりと逆潮であることが計算されているのです。朝8時前に海に入って江田内に入る際は1時間半くらいの間、泳いでも、泳いでも見える景色が変わりません。船の上の教官からは「貴様らしっかり泳がないから後退してるじゃないか‥‥」と罵声を浴びせられます。私自身、体力ではなく、精神的にしんどかったのを覚えています。食事は午前、午後、船から投げられる大きな乾パンひとつずつ、昼には、船からおにぎりを降ろしてくれました。しかし、体はずっと海の中です。やっと海から上がったのが、午後5時過ぎ、計9時間を泳ぎきった事になります。
5時間と6時間の差はさほど大きくありませんが、そこかから先の1時間、2時間、3時間の何と長かったことか。これも体力よりも精神力の問題だったと思います。最後は、腹がつくまで立ってはいけないのが原則ですが、立ちたくでもしばらくは立てなかったのが現実でした。
ところがです、ここまで泳がせた挙句に実際に艦に乗ってみると、艦には「総員離艦安全守則」というものがあります。艦が沈むという状況の中でどのように艦を離れるのかが規定され、訓練をしている「総員離艦部署」というものがありますが、その際の安全についての遵守事項を示したものです。その第一に、「泳ぐな」(正確には「無理泳ぎするな」と書いてあったと思いますが)と書いてあるではないですか。あれだけ泳がせておいて、「泳ぐな‥‥」ですから、「何とまあ‥‥」とは思いましたが、これも当たり前で、艦が沈んで海に投げ出されたら、無理に自力で泳ごうというのは自殺行為であり、浮いているものにしっかりつかまって、体力を温存することが第一なのです。次に書いてあるのが「鮫に注意」です。これも「どうするんだ‥‥」と思いますが、それだけ危険があるということなのだと思います。
とかく世の中、一見すると矛盾するように感じる事が多いのですが、よくよく考えてみると、やはりそのとおりということなのだと思います。
「何事も先達はあらまほしきかな‥‥」であります。