第28回:カッター競技 « 個人を本気にさせる研修ならイコア

ホームサイトマップお問合わせ・資料請求
パートナーコラム 紺野真理の「海軍におけるマネジメント」
サービス内容事例紹介講師紹介お客様の声コラム会社概要

第28回:カッター競技

※以前書かせていただいた「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」を
復刻版としてメルマガに載せてみたところ、意外にもご好評をいただいたため、
退職後19年を経過した現在の私が当時を思い起こして感じていることを書かせて
いただきました。これまでのものと同様に、私のわずかな経験の中で見聞きした
ことを、特に明確な意図というものはなく、何となしに書いてみたいと思います。
「艦隊勤務雑感」という副題も、あえてそのままとさせていただきます。
むろん、艦隊勤務を本望として20年間生きてきた私のことであり、主に艦「ふね」
(以後「艦」と「船」がごちゃごちゃに出てまいりますのであしからず)や
海上自衛隊にまつわることでお話を進めたいと思っております。

みなさんは、「カッター」と聞いておわかりになるでしょうか。日本語で書くと
「短艇」と書きますが、元々は、艦(船)に搭載されている救命用その他の多用途の
ボートでありオール(櫂)を用いて人力で動くものです。帆船が主流の時代の軍艦や
商船では、手漕ぎのカッターというのが当たり前だったのですよね。帆船時代には、
何をするにもカッターが必要であり、さまざまな用途に用いられたものと思われます。
このカッターで敵の船を襲撃したなんて話もあったようです。残念ながら、現在の
海上自衛隊の護衛艦で「カッター」を搭載しているものはないと思います。全てエン
ジン付きの「内火艇」という搭載艇に代わられています。戦後、帝国海軍がなくなり
海上自衛隊という新しい組織に模様替えされましたが、私が若い頃に艦隊での勤務を
した当時(昭和53年~60年当時)には、各護衛艦に1隻、この「カッター」という
ものが搭載されていました。当時すでに手漕ぎのカッターの用途は救命や訓練だけに
なっており、実際の業務で人や物を運搬するにはエンジン付きの「内火艇」が使用
されていましたが、なぜかカッターが残っていたのです。当時はまだ、護衛隊群
(8隻程度の部隊単位)で行う群訓練において、補給、休養のために入港した錨地に
おいて各艦対抗の「カッター競技」が行われていました。

私が昭和53年に参加した第2護衛隊群の群訓練の時の話です。私の乗艦していた
「あきづき」という護衛艦は護衛艦隊旗艦であり、部隊検閲のため護衛艦隊司令官
座乗のもとに訓練に参加しました。護衛艦隊旗艦というのは、旧海軍で言えば、
連合艦隊司令長官座乗の旗艦である「戦艦長門」や「戦艦大和」みたいなものですが、
なにせ当時は2000トン程度の駆逐艦が主流の海上自衛隊ですから、情けないほど窮屈
であったものです。当然ながら狭い艦内には、乗組員以外に司令部の幕僚や司令部要員
も乗っているので、旗艦の最下級士官である私などは小さくなっていたものでした。
旗艦とは言っても、訓練に参加するからには、まったく同等に扱われるため、私の乗る
「あきづき」も部隊検閲の対象であり、さまざまな訓練、検閲にも他の艦と同じように
参加していたわけです。そのため、第2護衛隊群の「カッター競技」にも参加することに
なったのです。ところが結果としては、分隊対抗で行われたカッター競技で全てわが
「あきづき」チームが勝ってしまったのです。ちなみに、当時の第2護衛隊群というのは
伝統的に海上自衛隊の最新鋭艦ばかりで構成されることが多く、他の7隻はすべて当時
最新鋭の冷暖房完備の近代護衛艦だったのです。また、長崎の佐世保を母港とするため、
その乗組員たちにも九州出身者が多く、海上自衛隊最精鋭部隊であることを誇っていた
ものでした。それに対して、わが「あきづき」は、そもそも米国の域外調達予算で建造
された老朽艦であり、冷房の設備などない「真夏の超暖房艦」であり、横須賀を母港と
しており乗組員の大半は関東出身者の多いものでした。この最精鋭部隊に、こともあろう
に老朽艦の「あきづき」が勝利したので第2護衛隊群では上を下への大騒ぎになりました。
当時の第2護衛隊群司令の某海将補は「全艦、冷房を止めてしまえ‥‥!」と叫んだとか。

あきづき艦内では38℃~40℃といった暑い暑い毎日を過ごしていましたが、やはり人は
自然のままにしているのが良いのではないかと思いました。私は、この「あきづき」に
1年半乗り組んだ後、広島の呉にある「駆潜艇おおとり」という400トン程度の艦に砲雷長
として勤務しましたが、これもまた、真夏の超暖房艦でありました。私はその次に航海長
として新鋭の護衛艦に乗るまで、2年半、冷房のない汗みずくの健康的な生活をしていたの
でした。現在の海上自衛隊においては、護衛艦対抗のカッター競技も、真夏の暖房艦も
すべて語り草になってしまっているようではありますが・・・。

次回は、現在でも行われている江田島の幹部候補生学校のカッター競技の中でも、
特に興味深いと思われる「総短艇」についてお話をします。

Copyright (c) 2024 e-Core Incubation Co.,Ltd. All Rights Reserved.  Web Produce by LAYER ZERO.