※以前書かせていただいた「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」を
復刻版で載せてみたところ、意外にもご好評をいただいたため、
以前に書いたものではなく、海上自衛隊退官後24年を経過してしまいましたが、
現在の私が思い起こし感じていることを書かせていただき、
今後のメルマガに掲載させていただこう、などという企みをしました。
前回のものと同様に、私のわずかな経験の中で見聞きしたことを、特に明確な意図
というものはなく、何とはなしに書いてみたいと思います。
「艦隊勤務雑感」という副題も、あえてそのままとさせていただきます。
むろん、艦隊勤務を本望として20年間生きてきた私のことであり、
主に艦(「ふね」と読んでください。以後「艦」と「船」がごちゃごちゃに出てまいります
のであしからず)や海上自衛隊にまつわることでお話を進めたいと思っております。
第61回「司令官の不安」で書いた呉での入港時の出来事の1カ月後くらいだったと思いますが、再度、護衛艦隊司令官と艦長のやり取りから、大事なことを教えられたことがありました。その時は、どのような訓練であったのか、何の目的であったのかについては失念してしまいましたが、さほど長い航海ではなく、1週間程度、護衛艦隊司令官を乗せて隷下部隊の訓練視察を終えてのことであったと記憶しています。東京湾に入ったころから風が強いことはわかっていました。出港時、入港時に風の強いというのは船乗りにとっていやなものです。当日、夕方4時過ぎの東京湾は、上空に厚い雲が垂れこめていて雨が降っており、漆黒の海面には白波が立っています。「あきづき」はそのまま浦賀水道航路に入って速力を制限速度の12ノットに落として横須賀港に向かっていきます。私は、このまま入港するつもりなんだろうか、と不安を持って艦長の顔を見ていました。実際の艦で仕事をした者でないとわかりにくいとは思いますが、上部構造物の大きい護衛艦は、風による影響が大きく、特に速力を落していく入港時にはその影響は一般の方の想像を超えるものがあります。何度やっても状況は千変万化であり、不安なものです。そのため、通常は一定の強さを超えて風が吹いている場合、安全を考慮して岸壁への横付けを避けて港外に仮泊(投錨)、翌日風がやんでから入港するものなのです。しかし、艦長は仮泊ということはまったく口にせず、「あきづき」は横須賀港に向かって進んでいき、「描地まで5マイル」という号令もいつもどおり艦内に令達されました。その時、椅子に腰をおろしていた護衛艦隊司令官が、椅子を降りて艦長のところに来て、言われました。
司令官:「艦長、大丈夫か‥‥? 入港できるか‥‥?」
艦長:「はい‥‥‥‥!」
司令官:「無理はするなよ、無理は‥‥」
これは、後で聞いた話なのですが、司令官は入港後、上位指揮官の自衛艦隊司令官とともに防衛庁(現防衛省)に行くことになっていたということでした。そのため、司令官としては何としても入港してほしいところであり、そのことを艦長は強く認識していたようでした。
艦長は何も言葉に出さないまま横須賀港は近づいてきます。甲板作業指揮官が艦橋に集合して入港要領等について艦長から注意、確認がありますが、この際も、「風は強いが、予定通り入港するぞ‥‥」と言ったきりで、いつも通りの確認をしただけでそれ以上の話はありませんでした。艦長の「入港用意」の号令により、ラッパとともに「入港用意」の号令が艦内に響きました。誰もが、「本当に入港するんだろうか‥‥?」「大丈夫だろうか‥‥?」という気持ちもあり、風雨の強い中で緊張感は更に高まっていきます。
「あきづき」が入港する横須賀長浦港というのは、ただでさえ狭い水路を通っていきます。その水路の脇には海上自衛隊の桟橋があるので、数隻の護衛艦が停泊しています。護衛艦隊司令官が入港する場合、停泊中の各艦は護衛艦隊司令官に対して敬礼をしてきます。その時、司令官が艦長に対して再度、「艦長無理してくれるなよ‥‥」と言ったのです。
艦長は、それまで艦を動かしていた航海長に、「艦長操艦」と言って、自らの号令で艦を動かす態勢に入っていますので、前を向いたまま、「はい‥‥」と返事をしただけでした。
入港に当たっては、まさに名鑑長の真骨頂とでもいうのだったのでしょうか。どのように入港したかは私の記憶も定かではありませんが、私は艦長の号令の中継をしながら、強い風、また呼吸しているような風の変化に対応して、自らの意思で風を利用している艦長の号令に、「すごい」「すごい‥‥」と感じていたことだけは覚えています。「あきづき」は強風の中、何事もなかったようにF-1岸壁に横付けを終えました。
「入港終わりました」と報告した艦長に対して、司令官は、「御苦労さん」と言っただけで、下に降りて行かれました。私は、「あれっ‥‥」と感じたのを覚えています。何が「あれっ‥‥」って、ですか。
だって、私は、「ありがとう、艦長!」という司令官の言葉を期待していたのでした。
呉での出来事と同じように艦長は何も言わずにすぐに艦橋を降りて行きました。私も同様に何か感じることがあり、今回も入港後の片付けもそこそこに士官室まで急いで降りていきました。私が士官室に入るなり、ソファーに腰を掛けて、このときは煙草を吸っていた艦長が、「船務士、指揮官としてあんなことは絶対言ってはいけないぞ‥‥!」と正に不機嫌な表情で言葉を発しました。
私は、無言でいたのですが、私の顔を見ながら艦長はおもむろに、
艦長:「『無理をするな‥‥』なんてのは誰でも言えることだ」
次に艦長の口から出たのは
艦長:「いいか、指揮官になったら絶対あんなことを口にしてはいけない。それだけはわかっとけ‥‥」
私は、わかったような、わからないようなで、私はあの時同様に「はあ・・・・」と生返事をしたのですが、
艦長:「無理をするな、ではなくて、『艦長、悪いが私は防衛庁へ行かなければならない事情があるので、無理をしてでも入港してくれ。何かあったら責任は私がとる』と言えばいいんだ」
「部下に対して『無理をするな』なんてことは、絶対に言ってはいけない」というものでした。
さて、みなさんいかがでしょうか。
私は、この言葉の意味とその影響を後年身にしみて感じることになったのですが‥‥。上司が私に対して何度も投げかけたこの言葉が、私が海上自衛隊を退職する上でのトリガーになったと言っても過言ではありません。
ちょうどその当時の第一生命サラリーマン川柳にこんなものがありました。
「無理させて、無理をするなと無理を言う」