※以前書かせていただいた「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」を
復刻版で載せてみたところ、意外にもご好評をいただいたため、
以前に書いたものではなく、海上自衛隊退官後25年を経過してしまいましたが、
現在の私が思い起こし感じていることを書かせていただき、
今後のメルマガに掲載させていただこう、などという企みをしました。
前回のものと同様に、私のわずかな経験の中で見聞きしたことを、特に明確な意図
というものはなく、何とはなしに書いてみたいと思います。
「艦隊勤務雑感」という副題も、あえてそのままとさせていただきます。
むろん、艦隊勤務を本望として20年間生きてきた私のことであり、
主に艦(「ふね」と読んでください。以後「艦」と「船」がごちゃごちゃに出てまいります
のであしからず)や海上自衛隊にまつわることでお話を進めたいと思っております。
海上自衛隊における最後の配置の時、私は護衛艦隊司令官という海上自衛隊のほぼ全ての護衛艦や補給艦、輸送艦等を統括する部隊指揮官の幕僚(参謀)として勤務していました。基本的な業務は、海上自衛隊としての最も大きな任務である「対潜水艦作戦」に関する戦術の開発や捜索、攻撃方法について新提案のとりまとめ、更には、それを基にした部隊指導にありました。しかし、何日かに一度は司令部の当直幕僚という役割が回ってきます。当時の護衛艦隊司令部は陸上に仮事務所を持っており、艦に乗っている事を思えば比較的広々とした場所で業務に当たることもできるのですが、当直幕僚ともなると、当日に起こる諸々の出来事の処理や今後の予定等について翌朝の作戦会議で司令官に報告をしなければならないなど、さまざまな業務が付加されることとなります。
ある日のこと、私の手元に緊急情報として米軍の戦闘機が北海道の東方海上に墜落したらしいという一報が入りました。航空救難というのは、洋上にある艦にとっても緊急性の高いミッションとなりますので、ただちに行動を起こす必要があります。当日は、その近傍では某護衛隊群が北方での群訓練を終えて、7隻の護衛艦を連ねて三陸沖を訓練しつつ横須賀に向け帰投中でした。私は、すぐに司令官からの命令としてその護衛隊群に反転北上、墜落機の捜索と搭乗員の救出の命令を暗号電報として発信する必要があり、その準備に取りかかりました。人命にかかわるこのような場合には、まず部隊を北に向けて反転させることが第一であると私は考えました。そこで通常の方法であれば衛星電話を使って主席幕僚を呼び出して、取り敢えず状況を伝えればよいのです。衛星電話には秘話機能がついているので、そのまま相手と会話をすることができます。しかし‥‥、しかしです‥‥。当日というかその週の最初から衛星電話のシステムが故障であったか、保守のためであったか記憶にありませんが使用することができませんでした。私は短い時間ではありましたが次善の策について大いに考えました。自分で持ちまわるとはいえ、命令電報を起案して、運用幕僚、作戦主任幕僚、幕僚長に回覧をして司令官の決裁を得るには、最低でも20分程度を要することは目に見えています。また、いかに機械暗号が進歩しており、司令部には有能な通信員、暗号員が配置されているとはいえ、決済されたものを暗号化して送信するにもそれなりの時間がかかることも自明のことです。手の空いている先輩の幕僚に命令電報の起案を依頼して、「さて、どうしたものか‥‥?」と思案したのは1分、あるいは2分程度であったかと思いますが、それが非常に長く感じられたのは今でも忘れられません。
私は決断をして当直幕僚の卓上にある外線電話を取り上げてダイヤルというかナンバーのボタンをプッシュしました。掛けた先は、群司令部の乗艦している某艦の「みどり色の電話」です。みなさん何だかわかりますか。この話はすでに1991年のことなので、26年も前であり時効と思って書いておりますが、もしかしたらまずいことになることも考えられないでもありません‥‥。まあ、ここまで書いてしまったので先に進みましょう。「みどりの電話」とはNTTの公衆電話のことなのです。新造の護衛艦等には電話ボックスや駅前で見かけていたいわゆる公衆電話が搭載されておりました。もちろん、乗組員が自由に使えるわけではなく、電波の届く範囲内での緊急時の通信手段としてのものであったはずです。その護衛隊群が三陸沖を航行中であることは明らかですが、果たして電波が届くのかどうかはわかりません。でも、だめで元々と思ってやってみたのですが、ものの見事に相手が電話に出てくれたのです。詳しい状況は口頭では言えないので、主席幕僚を電話口に呼び出してもらい、航空機が部隊の近傍の海面に墜落したことを伝え、詳細については命令電報がすぐに届くことを伝えました。更に、まずは反転して可能な最大速力で北上、要すればヘリコプターによる捜索の必要もある旨を伝えました。相手の主席幕僚K1佐は私の幹部候補生学校時代の教官だった方で、一緒にカッターで帆走訓練などもした気心の知れた方でもありました。具体的な質問もされずに二つ返事で、「了解、全艦を直ちに反転させ、増速して北上する」と答えていただきました。
護衛艦隊司令官の幕僚とはいえ、2等海佐である一幕僚の一言で、7隻の戦闘単位の部隊が反転するなど、普通の役所仕事ではありえないと思いますが、人の生死にかかる自衛隊のミッションの遂行においては、幕僚である当人の考え方や意思でこんなことが可能にもなります。なぜかというと、部隊の動きの当否は現場の部隊指揮官にしかわからないので、司令部の幕僚としては、航空機が墜落したという事実だけを情報として伝えるのです。その情報に接して部隊がどのように行動するかは、現場の指揮官の裁量に任されることとなります。
その後速やかに航空救難のための命令電報を回覧して司令官に決済を仰ぎに行きましたが、作戦主任幕僚にだけは電話のことは耳打ちしておきました。命令電報におもむろにサインをされた司令官から「部隊は今どうしている?」と聞かれました。当時穏やかながら切れ者のU海将、鋭い質問で切り込んできます。私はこの時も一瞬とまどいましたが、嘘の報告をするわけにもいかず、「状況は伝えておりますので、最大速力で北上中です」と答えました。司令官の頬が引きつったのがはっきりわかりました。
司令官:「どうやって伝えた、今衛星電話は使えないだろう‥‥」
私:「はい、次善の策としてNTT回線を使用しました。内容は一切伝えず、航空機墜落の状況のみ伝えております」
司令官:「ばっかもーん、同じことだ」
「対潜幕僚の独断か‥‥?」
私:「もちろん、私ひとりの判断です」
司令官:「‥‥、‥‥、‥‥」
いつもは優しい紳士の司令官が、この時ばかりは非常に厳しい表情をされていました。暗号の保全上、暗号電報で発信する内容と同じ趣旨のものを、暗号を使わない手段で送ることは禁止されているのです。結局、1時間後に三沢から飛び上がった米軍のヘリによって搭乗員が救助されたとの情報が入ったため、当該護衛隊群には捜索の終了と反転、帰投の命令を発信してそれ以上の事態には発展することなく終わりました。私は自分の判断が正しかったのか、間違っていたのかは今となっても明言ができません。ただし、人の生命にかかわる緊急事態における判断として、あらゆる事態を想定、勘案した上で、その時の自身の考え方の基軸に従って行動したことは事実だったと今でも思っています。