※弊社のメルマガに以前書かせていただいた「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」を復刻版で載せてみたところ、意外にもご好評をいただいたため、
20年前に書いたものではなく、退職後27年を経過してしまいましたが、
現在の私が思い起こし感じていることを書かせていただき、
今後のメルマガに掲載させていただこう、などという企みをしております。
前回のものと同様に、私のわずかな経験の中で見聞きしたことを、特に明確な意図
というものはなく、何とはなしに書いてみたいと思います。
「艦隊勤務雑感」という副題も、あえてそのままとさせていただきます。
むろん、艦隊勤務を本望として20年間生きてきた私のことであり、
主に艦(「ふね」と読んでください。以後「艦」と「船」がごちゃごちゃに出てまいります
のであしからず)や海上自衛隊にまつわることでお話を進めたいと思っております。
海上自衛隊のふね(艦)が、商船と比べたときの一番大きな違いは何だと思いますか。もちろん様々に違いはありますが、中でも最も大きな、根源的な違いというと、弾薬を搭載していることではないかと思っています。弾薬というのは弾丸と火薬が組み合わされたもので、海上自衛隊の護衛艦においては、76ミリ砲、127ミリ砲、20ミリ機関砲とともに、対艦ミサイル、対空ミサイル、対潜ミサイル、そして、魚雷などが主なものとしてあります。昔は、それ以外にも爆雷、ヘッジホッグやボフォースという対潜ロケットなどもありました。1年に一度の年次検査、4年に一度の定期検査など造船所等での修理に入る場合には毎回艦内に搭載している弾薬を陸揚げして、陸上の弾薬庫に一時的に保管する措置を取ります。年次検査、定期検査が終了したときには、それらを再度艦内に搭載するのですが、これらの作業は乗組員総員による作業となり、ほぼ一日がかりの仕事となるのが普通です。今回は、この弾薬搭載(陸揚げ)の作業の際に、若手幹部に対してなされた指導について、二つの異なる考え方に触れてみたいと思います。
私が護衛艦乗りとしてのスタートを切った「あきづき」での1年半の間、私は年次検査及び定期検査を一度ずつ体験しました。その際の弾薬搭載(陸揚げ)は、浦賀の造船所に入る前後に横須賀港の岸壁に横付けした状態で行われました。対艦、対空、対潜ミサイルや魚雷等は、そのものが重量物であるとともにそれなりの専門知識も必要であり、担当部署の関係者で実施されますが、最も大がかりな作業としては、弾薬庫にある砲弾を移動させることなのです。76ミリ砲、127ミリ砲にしても、人が肩で担げる程度のものとはいってもかなりの重量であり、落としたりすれば足をつぶすなど怪我をすることは当然ですが、万が一海にでも落としてしまったら大変なことになります。これを総員が、弾薬庫、艦内の通路、上甲板上の通路、そして、岸壁に下して運搬用のトラックに積み上げるところまで、さまざまなところに分かれて実施するのです。最初の時は、幹部は安全に作業が進行するのを確実にするため、自らは運搬作業をすることなく、要所に分かれて動線等の変化や危険な動きの有無を確認して安全、確実、迅速な作業を図ることとされていました。甲板士官であった私は、全体の作業の手順を決める業務もありましたが、ほとんどの幹部は弾薬の主管部署である砲雷科を除いて、主要な場所に分かれて隊員の弾薬の持ち方から、通路をショートカットしないように確認しながら整斉と作業を進行させようとしていました。このやり方は、どこの艦でもあることなのですが、基本的な考え方は、当時の副長兼砲雷長N(Z)3佐(以下、Z3佐)の考え方によるところが大きかったと思います。Z3佐は、甲板士官であった私に対して、「乗組員の居住区にむやみに足を踏み入れるな」と日頃から指導されていました。甲板士官という立場にあった私は、自分の部下であろうとなかろうと頻繁に乗組員の居住区に出入りしていたものですが、幹部と他の乗組員(海曹士)とは果たす役割が違うということで、安易に同等の立場にあるように考えることをいつも戒めておられました。
ところが、その半年後にN(Z)3佐に代わって着任したN(M)3佐(以下M3佐)は、それまでのZ3佐とは全く異なる考え方をしていました。M3佐は私が幹部候補生学校時代の教官でもあり、私自身多少人柄等わかっているつもりではいましたが、実際に着任されてみると、その前任のZ3佐とは大きく異なっていることに若手幹部一同驚いたものでした。その最も顕著だったものが、弾薬搭載(陸揚げ)作業に対する姿勢でした。M3佐の考えは、「若手幹部は、乗組員と一緒になって自ら砲弾を担いで先頭に立ち作業を行え」というものでした。私自身は甲板士官の役割を1年後輩に譲っていたこともあり、副長M3佐の言われるように自ら砲弾を担いで作業に当たりました。とはいえ、ただの作業員であって良いわけがないことは当然のことであり、重い砲弾を肩に載せながらも、乗組員が危険な動きをしていないか、動線はおかしくないかなどを意識しながらだったことは当然のことではあるのですが。M3佐は、日常においても、できるだけ部下に接して彼らの状況を把握することを若手幹部に求めており、前任のZ3佐とは違って乗組員の居住区に立ち入ることにも寛容でした。自らも副長という職にありながら、よく居住区に降りていたのを覚えています。さて、みなさんが、護衛艦あきづき副長の立場にあるとしたら、どちらの考え方をとると思われますか。
ちなみに、第35回「次室士官心得」で書いた、旧海軍の若手士官に示された心得には、次のような記述があります。
常に至誠を基礎とし、熱と意気を以って国家保護の大任を担当する干城の築造者たることを心懸けよ。「功は部下に譲り部下の過は自ら負う」は西郷南洲翁の教えし処なり。「先憂後楽」とは味わうべき言葉であって、部下統御の機微なる心理もかかる所にある。統御者たる我々士官は、常にこの心懸けが必要である。石炭積み等苦しい作業の時には士官は最後に帰るよう努め、寒い時に海水を浴びながら作業した者には風呂や衛生酒の世話までしてやれ。部下に努めて接近して下情に通ぜよ。ただし、部下に馴れしたしむるは最も不可、注意すべきである。
この記述では、どちらの意味にもとれるものがあり、両方の要素が入っていると感じられます。どれが正解ということはありません。どちらにしても一長一短といったところだと思いますが、それならば、そこでの対応にその方の指揮官としての、あるいは管理職という立場でのスタンスというものが明確に認識できるものと思っております。