第92回:台風避泊 « 個人を本気にさせる研修ならイコア

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パートナーコラム 紺野真理の「海軍におけるマネジメント」
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第92回:台風避泊

※弊社のメルマガに、以前書かせていただいた「海軍におけるマネジメント(艦隊勤務雑感)」を復刻版で載せてみたところ、意外にもご好評をいただいたため、20年前に書いたものではなく、退職後29年を経過してしまいましたが、現在の私が思い起こして感じていることを書かせていただき、今後のメルマガに掲載させていただこう、などという企みをしております。前回のものと同様に、私のわずかな経験の中で見聞きしたことを、特に明確な意図というものはなく、何とはなしに書いてみたいと思います。「艦隊勤務雑感」という副題も、あえてそのままとさせていただきます。むろん、艦隊勤務を本望として20年間生きてきた私のことであり、主に艦(「ふね」と読んでください。以後「艦」と「船」がごちゃごちゃに出てまいりますのであしからず)や海上自衛隊にまつわることでお話を進めたいと思っております。

 このところ、気象など自然についての記事が多くなっているようにも思いますが、ちょうどシーズンなので、台風に関するお話を一つしてみたいと思います。「台風避泊」と聞いて何のことかわかりますか。普通、台風が近づいてくると、会社でも学校でも、「電車やバスが止まらないうちに早く帰ろう」というのが普通ですよね。普段なら飲んで帰ろうとするお父さんも、「台風が近づいているから飲むのはやめて帰ろう」と考えるのが普通ですよね。しかし、海上自衛隊の護衛艦乗りとしては、たとえ休日であっても、夜であっても、「台風接近」というテレビ等の情報に接すると、頭には、この「台風避泊」の4文字が閃いてしまいます。まだ台風の本土への接近が迫っていない状況でも、「台風避泊」として動き出すのはいつ頃だろうかと無意識にも計算をしてしまいます。普通のお父さんが、今ではお母さんやお姉さんもですが、「台風だから家に帰ろう」とするのに対して、護衛艦乗りは、「台風だから艦に帰らなくては」となるのです。艦に帰ってどうするのか、というと、それはまさに「台風避泊」の準備をするのです。

 台風を岸壁に係留中にやり過ごすことも状況によっては可能な場合もありますが、強風、高波等の恐れがある中で、艦を岸壁に係留したままにしておくのは、大変に怖いことというのが護衛艦乗りだけではなく、一般の船乗りの感覚であろうと思っています。私は護衛艦「によど」で航海長の職務にある時に、広報作業(体験航海)を行った日立港で大変な経験をした覚えがあります。この時は台風ということではなく、晴天の夜であって、夜になって、乗組員は日立の街へ繰り出し、艦長も歓迎会等に引っ張り出されている中での出来事でした。私は、たまたま当直士官として、その日の艦長不在の間の責任を負っている立場にありました。夜になって多少風が強くなってきているので、通常のもやい策だけでなく、ワイヤーロープを追加して係留の安全を図ろうとしていました。特に、日立港というのは海図ならずとも地図を見ていただければわかりますが、東京湾などの大きな湾の中にあるのではなく、鹿島灘から北側の外海に面したところに作られている港なんです。そのため、堤防はあるものの、外界からの波、うねりの影響を受けやすい港でした。風が強まるのに合わせるかのようにして、港外からの波、うねりが港の中にまで入ってきました。当直士官として停泊中の「によど」の全責任を負っている私は、岸壁に出て状況を確認しました。波の影響で艦は岸壁につながれたまま、上下に動いています。ナイロン製のもやい索というのはある程度の弾力があるので、伸び縮みはするのですが、その強度には不安があります。そのためワイヤーロープでその補強を図っていたわけですが、艦の上下に伴って、1本のワイヤーロープが大きな音をたてて切れてしまいました。近くにいたら大変なことになります。すぐに当直員を集めて、別のワイヤーロープで再度固定をします。しかし、その作業も艦が波により不定期に上下しているため、大変危険が感じられます。2本のワイヤーロープをとってちょっと安心しようかと思ったところ、最初に使ったワイヤーロープがまたも大きな音を立てて、プッツンと切れてしまったのです。これには私も肝を冷やしました。ナイロン索で更に補強して、ワイヤーロープにはある程度のたるみを持たせて、いざという時の支えにしました。私も、他の当直員も気が気ではないので、岸壁に出て、ナイロン策の引かれ方、ワイヤーロープへの力のかかり具合をずっと見ていました。午後10時半を過ぎたころには風の方向が変わったのか、港内への波の入り方も変わってきており、艦の上下動もおさまり、一同ほっとしたところでした。しかし、この経験は、万が一、台風が来たときに、岸壁に係留したままとなって台風をやり過ごすことはできないという当たり前のことを、実感として教えられる経験となりました。

 実際に台風避泊となると、いつの時点でそれを決めるのかによりますが、艦長は、かなり早い段階から心配をしています。護衛艦隊所属の艦であれば、護衛隊群司令部からの指示により部隊は動くこととなり錨地も指定をされます。横須賀港近郊では、横須賀港外あるいは木更津沖が近いのですが、多くの船が停泊していたり、遠浅で砂の多い海底は走錨しやすいということもあって、ほとんどの場合、館山湾まで進出してそこに錨を入れることが多かったようです。呉では、小さな駆潜艇の場合は沖合のブイに係留したこともありましたが、護衛艦の場合は広島湾まで出ていくこともありました。予定の錨地に投錨した後は、台風の通過に伴う風や雨に対して安全を確保することが必要ですが、以前このコラムに書いたことのある「捨錨」の準備をして警戒をしつつじっとしていることとなります。港を出るまではバタバタとして大変な騒ぎのようではありますが、台風接近の前に出港してしまえば、さほど不安なこともなく予定の行動をするだけなのです。停泊中は、当直員が艦橋で天候を見ながら艦の位置を定期的に確認して、走錨していないかどうかに注意を払うだけで、他の隊員は、とりあえず居住区や食堂でのんびりと過ごすことができるのです。通常の岸壁係留中は1/4から1/3の乗組員が残っているだけですが、台風避泊中は航海中と同様に全員が館内にいることとなります。食堂も消灯までは乗組員でいっぱいになっているし、ベッドも空きベッド以外はフルで使用しているので、艦内がとても狭く感じるものです。航海中も全員が艦内にいるわけですが、1/3は当直についているのと、当直明けの者の多くは疲れ果ててベッドにいることが多いので、なかなかこのように全員が館内にそろって顔を合わせる機会というのはないものです。ですから、私は「台風避泊」が、さほどいやではなかったことを覚えています。基本的には次の訓練のための出港までのさほど長くもない貴重な停泊期間に、家族と離れて出港しなければならないのですから良くないことの一つなのですが、こうして乗組員全員が航海中の哨戒配備もなしに顔を合わせている機会というのは、非常に稀なことでもあるのです。もちろん、結果として3日間に2日しかない貴重な上陸の機会を奪われる若い海士(いわゆる水兵さん)諸君にとっては忌むべきことかもしれませんが、私にとっては、大変で面倒くさくて、できたら避けたいという思いがありつつも、「たまにはいいな」などと思う瞬間が何度かありました。自分が当直であろうがなかろうが、投錨中の艦橋で、周囲の景色を見ながら風の変化によって振れまわっていく艦から見える周囲の山並みを見ている時間は、何とも言えないものがあったように記憶をしているのでした。

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